きみは「Let it be」と言った

ありのままの自分でいること

(仮題)台風の夜に考えたこと。

イヤホンから音楽が流れる。
銀河鉄道のレールを作る仕事をしている恋人を探して、夜空の星を見上げている。
行ってしまった恋人の身の安全を案じるとともに、ありきたりことを言い合えていた過去に感謝をする
お互いが星を起点に、お互いの気持ちを確かめる。物語のような、素敵な歌詞。
 
物語に登場する2人のように 、今日もだれがが、どこかで星を眺めてる。
ある人は、自分の想いを夜空に見つけているかもしれない。
ある人は、誰かの想いを探してるかもしれない。
でも、星は光っているだけで、だれかの想いなんて知らないかもしれない。
はるか遠く、想像だにできないほど、離れたところで生じた、水素の核融合
長崎に落とされた、人類最悪の兵器に利用された原理で、水素がヘリウムに変化する際に、発した光が、人の視神経に飛び込んできただけ。
人間からの想いを重荷ともせず、ぶつかり合う原子と原子がそこにあって、
ただ、その事象があるだけかもしれない。
 
 
先週末、11日の晩から12日の未明にかけて、台風19号が東京に直撃した。
スーパー台風といわれていた、大型の天災は、東日本を飲み込み、大きな被害をもたらした。
僕も、東京で被災した。
被災といっても大したことはなかった。
家の備蓄にガスボンベがあることを確認して、スーパーをめぐり、水や食料を買って災害に備えたけど、結果は、停電することもなく強い風に時々家が揺れる程度で済んだ。
しかし、2週間たっても安息を手に入れることができない人たちはたくさんいる。
大切な人を失った人もいる。
ニュースで報道される時間は少なくなっているけれど、確実に困っている人たちはそこにいる。
 
 
台風が東京に直撃する当日、テレビに流れる、「世界も注目する規模の天災」、「命を最優先する行動を」という文字を見て、3.11を思い出していた。
台風が過ぎ去るまで、家の中で忍んでいたから、ある本を読み返していた。
池澤夏樹さんの『春を恨んだりはしない』
博学で達観した視点をもつ著者が、あの東日本大震災を機に、あらためて、自分、被災者、被災地、自然と「対話」を試み、その「対話」の内容を客観視して、文章として綴ったもの。
 
最初に読んだのは、この本が出た2011年の秋ごろだったと思う。
8年前に1度読んだだけだから、当時の記憶は残っていなかった。
新しい気持ちで、ページをむさぼり進んだ。
 
自然にはいかなる意思もない。
自然が今日は雪を降らそうと思うから雪になるわけではない。
大気に関わるいくつもの条件が重なった時に、雲の中で雪が生まれて、地表に達する
それを人間は降る雪として受け取り、勝手に喜んだり、嘆いたりする。その感情に自然は一切関与しない
無関心は冷酷よりもっと冷たい。感情の絶対零度
<中略>
津波があと1メートル先で止まってくれていたら、あと二十秒遅かったら、と願った人が東北には何万人もいる。
何万人もの思いは自然に対しては何の効果も影響力もなく、津波は東北に来た。
それが自然の無関心というものだ。
ページを進めているうちに、記憶がよみがえった。
 
僕はその時、大阪にいた。微弱な揺れで目が覚めて、地震と確信するために、テレビを付けた。
飛び込んできたのは、予想していた震度2の数字ではなく、惨状だった。
叫ぶように原稿を読むアナウンサー。
車が流され、街が海に飲み込まれていく光景。
ビルの屋上からヘリに吊り上げられる人々。
何人も人がいたはずのビルの屋上が海になってしまった過程。
 
2012年。震災から1年後。
やっと僕は被災地に足を運んだ。

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街が突然なくなってから1年。
復興というには程遠いけど、前を向いて生きている人たちがいた。
 
自然はたしかに人間に無関心だろう。
あと1メートル津波が低かったら。
あと30秒津波がくるのが遅かったら。
そう言った声をもろともせず、事象として、大切なものを奪っていった。
でもそこに生きていた人々はとても強かった。不謹慎かもしれないけれど、美しかった。
人は行きつ戻りつゆっくりと喪失を受け入れる。
失ったものについて、あれこれとなく考え、嘆き、時に泣き、忘れたと思っては思い出し、本当は辿りたくない道をぐずぐず前に進む。その過程もまた、自分との対話なのだ。
 
震災当時はショックで自分の名前がかけなかったと、はにかんで話してくれたおばさん。
何度も来てくれてありがとうと手を握ってくれたおばあちゃん。
自分たちがいることを忘れないでくれ、と訴えてくれたあの眼光の鋭いおじさん。
夢は地元で教師になることだと教えてくれた少年。
アートの力で復興を支援したいと考えていると照れて教えてくれた少女。
震災で大切な家財がすべてなくなっても、目の光は失っても、
未来をつかもうと歩みを進めるのしかないのだと、語ってくれた仮設住宅に住んでいた人々。
 
みんな、恐る恐る、踏み出している。
生きることは本当に力が必要なのだと感じたことを覚えている。
これを書いている今でも当時のその想いに涙がこみ上げてきそうになる。
 
力を使って燃やしている命は、超新星爆発よりも、強く綺麗に東北の地で輝いていた。

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 またって来たからといって
 春を恨んだりはしない
 例年のように自分の義務を
 果たしているからといって
 春を責めたりはしない
 わかっている わたしがいくら悲しくても
 そのせいで緑の萌えるのが止まったりはしないと
これは、『春を恨んだりはしない』のタイトルはこの詩から借りたとして本書で紹介されている、
ヴィスワヴァ・シンボルスカの「眺めとの別れ」の一節
 
実際に東北の人たちは春を恨んでいるのだろうか。
恨んでいない人もいる。でも恨んでいる人もいるかもしれない。
何が正しいのかわからないが、僕は、春を恨んでもいいと思う。
自然は無関心でもいい。
ぼくたちが、時々歩み寄って、自分たちの都合のいいように考えるから、それでいい。
 
最後に、、、
読み進めていると、厳しい言葉が目に入った。
我々はみな圏外に立つ評論家ではなく、当事者なのだ。
松村圭一郎さんの『うしろめたさの人類学』で
「個人」と「国家」・「市場」・「社会」とのつながりを取り戻すことが「うしろめたさ(共感性)」であると書いている。
(この『うしろめたさの人類学』はとても面白い本なので、別で改めて紹介しようと思う。)
 
3.11の震災に対して、自分はうしろめたさを感じた。
震災当時は何もできなかったし、現場を見たにもかかわらず、最近まで思い出しもしなかった。
何ができるとも思っていないけど、こうやって思い出すこと、くらいはできる。
知識人たちが書いた、本を読むこともできる。
今の政治、原発はどうなっているのかについて、調べることもできる。
この台風についてもそうだ。
 
今感じたことを、書き留めておくことも、何かのためになるんじゃないか。
そう信じることもできる。
 
前に進むしかない。何者でなくとも、できることはあるはずだと信じて。
自分のやることが何かのために、誰かのためになると信じて。
この先に希望はあると、頭脳明晰な著者が背中を押してくれているのだから。

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