きみは「Let it be」と言った

ありのままの自分でいること

歌舞伎町と赤坂とみなとみらいで見つけた幸せ

ぼくは朝、起きることが苦手だ。
夜の時間が好きだから、寝る時間は遅いし、長時間の睡眠に慣れてしまっているし。
要素を挙げればたくさんあるけど、その根本的な原因がわかった気がする。
 
次の日に期待していないんだろう。
 
ヒッチハイクで出逢ったアーティストは、
「朝日に感謝して生きよう。」とキラキラして言っていた。
ぼくの尊敬する大学教授は
「朝日を見ると憂鬱になる。」と鋭い眼光で言っていた。
 
 
10月26日0時を回ってから歌舞伎町に焼肉を食べに行って、
4時に寝ても、朝はしっかりと起きて赤坂で高級店の格安ランチ。
そのあと、みなとみらいでショッピングや散歩を楽しんで、
遊園地で乗り物に乗りはしなかったけど、赤レンガ倉庫でまたショッピング。
気がつくとあたりは暗くなっていて、肌寒かったけど、夜景を見て心を温めて。
山下公園まで歩いて、山のように盛り付けられたホイップクリームとパンケーキを食べた。
嬉しさに涙を堪えて頬張る君が目の前にいる。
 
神様、お願いです。
これ以上僕たちになにも足さず、僕たちからなにも引かないでください。
天気の子の主人公、帆高の気持ちが少しだけ、分かった気がした。
 

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時間が経つこと自体が変化することで、僕たちはその時間に身をゆだねているんだから、変化を避けることはできない。
身体は変わっていないようで、変化している。
例えば、腸内の細胞は刻一刻と細胞分裂を繰り返し、古い細胞が剥がれ落ち、新しい細胞に置き換わる。
身体は細胞によって構成されていて、その細胞が今と1秒先の未来で全く違うものになっているから、身体も変わっていると言える。
 
 
生きる意味を考えるときに、学生の時は、未来ばかりを見ていた。
これから先、自分の役割はなんだろうかと考えていた。
でも、最近変わった。
「この瞬間を経験するために、生きてきたんだ。」そう感じる瞬間に出逢うために毎日を紡ぐこと。
これが生きる意味の一つの側面なのかもしれない、と思えるようになった。
 
 
時間は止まってくれないし、ぼく自身も、ぼくを取り巻く環境も変化する。
自分にとってのなにかが足されたと思っていたら、気が付かないところでなにかが引かれている。
膨大な可能性が混在する現実を、幾つもの大小さまざまな選択肢を知っても知らずとも選んで人生を前に進める。
選択することは責任と一抹の恐怖を伴う。
一つ一つ選んでいくと、ある時偶然が重なって、今とてつもなく幸せ、と言える時間が一瞬でも訪れる。
そしてまた、生きていてよかったと思える時間を探すために可能性の海に飛び込む。
 
 
とてつもなく幸せ。
久々にそんな時間を味わった気がした。
 
 
毎日、次の日に期待が出来なくてもいいし、明日なんか来てほしくないって思ってもいい。
それは、責任感を持って人生を進めている証拠だから。
ちょっとだけ、ほんのちょっとだけでも、明日が楽しみだと思える日があれば、
それでいい。
 
明日はちょっとだけ、朝起きるのが楽しみ。